日本占領期である1920年陰暦1月6日に平安北道の定州で生まれた文鮮明先生は愛国心の強いキリスト教家門で育った。
先生に多くの教えと影響を与えた大叔父の文潤国先生は、牧師であり独立運動家で、3.1独立運動に参与した 李昇薰先生と五山学校の設立を主導した。
文潤国先生が家門の全財産を上海臨時政府に独立基金として送り、家門の事情が難しくなったりもしたが、少年時代の先生は民族の苦難と自身の運命について祈り求め続けた。先生は16歳になった1935年4月17日復活祭の朝、祈祷の中で現れたイエス様に出会い人類救援の使命を自覚するようになる。以後先生は宇宙の創造と聖書の秘密を明らかにするため、深い祈祷と真理の世界に入っていった。
『私の祈りと至誠が天に届く日には、イエス様はいつでも穏和な顔で真理の答えを下さいました。(中略)それは単なるみ言ではなく、新しい世界を開く啓示のみ言、宇宙創造の真実を明かすみ言でした。』
文鮮明先生は解放後、平譲から本格的な伝道を始めたが、北朝鮮の宗教弾圧で興南監獄に収監された。6.25動乱の勃発で監獄を出た先生は釜山のポムネッコルに落ち着いた。手作りで、雨漏りのする土壁の家で、宇宙創造の秘密と聖書に秘められた神様のみ旨を記した“原理原本”を執筆し、み言を伝え始めた。
先生はその後上京し、1954年‘世界基督教統一神霊協会’を創立し、本格的に宣教活動を展開した。当時開放と分断、戦争によって人生の究極的な意味に対する懐疑と、韓民族の悲劇的な運命の前に絶望している若い知識人達は、原理のみ言に強く惹かれた。特にキリスト教財団である 延世大学と梨花女子大学を中心に多くの大学生が入教するや、 大学側は彼らを一方的に退職、退学させ、これを正当化するために先生を風紀びん乱容疑で拘束した。先生は結局無罪で釈放されたが、この時から既成キリスト教団による統一教迫害が本格化した。キリスト教層の反対と圧力にもかかわらず‘韓国は再臨主が来られる世界の中心国家であり、神様のみ旨が韓国を中心に成される。’という原理のみ言は1950~60年代の青年達を感動させた。以後、統一教は韓国内で爆発的に成長するようになった。
『青坡洞の教会に移って行った後、私はほとんど眠りませんでした。奥の間に身をかがめて座り、明け方の三時か四時になるまでお祈りをして、服を着たまましばらく背中を丸めて寝ると、五時にはもう起きる生活を七年間続けました。(中略)1年も経つと信徒数は四百人を超えました。(中略)誰もが「死んでもみ旨をなそう」という切迫した心情で頑張りました。』
1960年代には文鮮明先生と韓鶴子女史の聖婚式がなされた。安州の篤実なキリスト教家門で生まれ、絶対的な信仰生活をする母親のもとで成長した韓鶴子女史は、以後、生涯を通じて献身的に子女を育て生活を切り盛りし、先生を助けてきた。
文鮮明先生は全世界を活動舞台として、1958年の日本、1959年のアメリカでの宣教を皮切りに世界宣教を始めた。日本は当時、韓国と国交がなかったが、命がけの宣教により急速度で統一原理が伝えられ、現在統一教の信者が最も多い国家の一つになった。
1970年代アメリカ主流社会とキリスト教は文鮮明先生と統一教信者たちを「ムーニ-(Mooni)」と呼び反対した。しかし先生はアメリカ内の若者たちの間で「精神革命のアイコン」となっていき、安定的な宗教基盤を確保していった。そして1976年9月、歴史的なワシントンモニュメント広場集会に集まった30万に達する群衆はアメリカ宗教界に衝撃を与えた。この出来事により先生はアメリカの時事週刊誌『ニューズウィーク』の「1976年今年の人物」に選ばれた。
『彼らの妨害にも関わらず東洋から来た小さい目の男が開いた巡回講演は日が経つに連れ話題を集めました。人々は今まで聞いてきたこととは全然違う新しい教えに耳を傾けました。宇宙と人生に関する根本原理をはじめ、アメリカの建国精神を思い起こさせる講演の内容が退廃と怠惰の奈落に落ちていたアメリカ人たちに新鮮な風を吹き入れました。』
当時人種差別が激しかったアメリカでは東洋の小さな国、韓国から来た宗教人がアメリカの若者たちに大きな影響力を及ぼすことを非常に警戒した。アメリカ政府は先生を追放するために脱税容疑を着せ、結局先生はダンベリー連邦刑務所に収監された。これに対してアメリカはもちろん全世界から集まった宗教指導者3500余名が宗派を超え、ホワイトハウスの前で無理な法を適用した宗教弾圧に抗議し、「宗教の自由保護のためのデモ」を繰り広げた。先生の出監の日にはユダヤ教、キリスト教牧師たち1700余人が集まる中、出監歓迎晩餐会が開かれた。
文鮮明先生は宗教だけでは新しい時代を開くことができないことを知り、政治、経済、教育、言論、文化、科学、救護、環境、家庭、女性、青少年など、すべての分野で神様の理想を実現しようと多方面にわたる努力を続けてきた。
特に文鮮明先生は「神様を否定する共産主義は没落しなければならない。」という強い信念で勝共運動を展開した。先生の願いと預言通り共産主義は没落し、冷戦時代は終わりを告げた。1991年12月には文鮮明先生と金日成主席の歴史的な出会いがあった。先生は金日成主席の前でも 「神様を否定する共産主義は滅亡するしかない。」 と力説し、以後南北対話のきっかけとなる共同声明を発表した。その後先生は20余年が過ぎた今でも南北経済協力のモデルを作りながら、南北青年学生セミナー、リトルエンジェルス訪朝公演などを実現し、南北対話の民間窓口としての役割を果たしてきた。
また、先生は1966年超教派協議会を創設し、世界宗教会議を開催するなど超宗教活動を展開した。、2001年9・11テロ以後には中東平和のための超宗教セミナーと平和行進及び交流を通して中東平和に寄与した。
文鮮明先生は天命を受け、苦難と茨の道を乗り越え勝利した基盤の上に、2001年1月13日、神様を中心とした天の主権出帆を宣布する「神様王権即位式」を挙行した。以後、先生は神様を王として侍る天一国を実体的に2013年までに創ろうと提案し、それまで展開してきた多様な分野と各界各層の平和運動の基盤の上に世界平和のためのUN更新運動を展開した。真なる平和世界を成すには視野の狭い自国中心の利害関係を超越した対話と協力が必要とされるからだ。
『世界情勢に対する分析力を備えた政治指導者の知識と統治能力が、霊的な眼識を備えた超宗教指導者の知恵と一つとなるとき、世界は初めて真なる平和の道を見いだすことができるのです。
きょうも私は、この地のすべての人が宗教と理念、人種の壁を超え、「平和を愛する世界人」として生まれ変われるように祈っています 。』
シカゴ大学政治学博士であったモートンA.カプラン博士(Dr. Morton A. Kaplan) は「世界が危急を告げれば告げるほど、世界は飛びぬけた力量をもつ指導者を求めます。このような歴史の要求に応え、神様が特別に送られた指導者がまさに文鮮明先生であると信じます。」と証した。また、ポーランド前大統領でありノーベル平和賞を受賞したレフ・ヴァウェンサ(Lech Walesa)は「私は心から文牧師を尊敬します。その方が神様のみ旨を成就してくださったらと思います。」とも言った。
真なる平和の王、万王の王として世界人の尊敬を一身に受け、しかし一方では保守キリスト教勢力から迫害と苦難を受けてきた文鮮明先生。
先生の生涯と業績は決して宗教の範囲にとどまることのない、真の愛による世界平和創建と人類大家族実現のための長い道のりだった。若い頃から深い祈祷と精誠を通して宇宙の起源と歴史の秘密を探し出した先生は孤独な開拓者の使命を背負い、罪なき6度の獄苦を受けるなど苦難の道を歩んできた。このような先生の生涯は真なる父母、また真の師匠として人類を救援するために来られたメシヤとしての生き方だった。